
演劇なんて根暗っぽいし、全然興味ないし何がいいの?
学生の頃、それが演劇部に対しての印象だった。印象もへったくりもないな、演劇部に誰がいるかなんて知らなかったし。
横浜生まれ横浜育ち、生粋の『はまっこ』だ。もはや死語に近いが。小さい頃は身体が弱くてしょっちゅう風邪をひいていたらしく、幼稚園にも保育園にも通っていなかった。
年長になる頃から、保育園に通い始めお遊戯会では『みにくいアヒルの子』のみにくいアヒルの子を演じた。何故か2匹いたが…。おそらく記憶する中でこの時に最初に演技をしたと思われる。
小学生からサッカーを始め、中学生になるとGKにされた。当時一番上手い奴のシュートをたまたま一本止めたからというだけの理由で。正直全くやりたくなかったが、練習試合で偶然にも好プレーを連発してしまい正GKになってしまう。
まだ身長も小さかったし、フィールドでプレーもしたかったから、GKカンポスを目指すようになる。因みにカンポスとはメキシコ代表の正GKだが、身長は167cmと小さく、代表戦ではフィールドでプレーもする当時のメキシコの英雄である。
とは言うものの結局部活動は高校までで大学ではサークルでやる程度にして何か別の道を探していた。大学を卒業する頃に当たり前のように就活するのが嫌で、長い休みを利用して旅に出た。
この時が初めての海外旅行で、タイ・カンボジアへと向かった。そして、カンボジアのとある小さなレストランで『地雷を踏んだらサヨウナラ』を上映していたのを観た時、生で感じていたカンボジアの空気が映像を通して何かを訴える景色に顔を変えた。芝居をやることの真意をみた気がした。
その時に俳優になろうと思った。
この頃は舞台出身の俳優がテレビに出始めていてこの人たちは上手いと思った事だけを理由に、あれほど嫌がっていた演劇を始めた。数ある養成所の中から加藤健一事務所俳優教室に入所。ここを選んだのは『レッスン代がかからない』と云うのを目にしたからで加藤健一氏の芝居なんて全く知らなかった。三年間の養成期間を終え、そのままフリーで活動しオーデションを経て劇団SHOW&GO FESTIVALに参加。『ヒミツキチ』『今宵見上げし荒城の月 酔ひてうとうも月のみぞ知る』『ハーフマイルビーチボーイズ』に出演し、ここで骨を埋めることを決意する。
PERSONAL DATA
【生年月日】1981年7月11日
【星座】蟹座 【血液型】 O型
【出身地】神奈川県
【身長】175cm 【体重】60kg
【スリーサイズ】86−69−90
【靴】26cm
- ■趣味
- スポーツ、旅
- ■特技
- サッカー、倒立、ロボット振り、日本舞踊
- ■資格
- 普通自動車運転免許 PADIスキューバダイビングオープンウォーター
- ■プチ自慢
- 4階建の学校の屋上まで素上りで登っても、生きている。
台風の海の沖に取り残されても、生きている。
何度も酒に呑まれ意識不明になっても、生きている。 - ■今やってみたい事
- 浜辺暮らし…ビーチボーイズ。。
芸歴活動
- 【舞台】
- ●2005年
「天保十二年のシェイクスピア」加藤健一事務所俳優教室アトリエ公演
●2006年
「友達」加藤健一事務所俳優教室アトリエ公演
「フツーの生活」加藤健一事務所俳優教室卒業公演
●2007年
「ゼチュアンの善人」加藤健一事務所俳優教室アトリエ公演
「コミックポテンシャル」加藤健一事務所公演
「見よ、空の高く飛べるを」加藤健一事務所俳優教室卒業公演
●2008年
「FL−0501」東京俳優市場
●2009年
「みんなの妊娠」La Compagnie An公演
●2010年
「宇宙エレベーターガール」宇宙食堂公演
「民宿チャーチの熱い夜8」DEAD STOCK UNION公演
「『日々の暮し方』との暮し方」LAVINIA公演
●2011年
「ヒミツきち」劇団SHOW&GO FESTIVAL公演
「『日々の暮し方』との暮し方2」LAVINIA公演
「今宵見上げし荒城の月 酔ひてうとうも月のみぞ知る」劇団SHOW&GO FESTIVAL公演
「マルクス愚連隊、原作者Jr.拉致事件なう。」創作ユニットスタニスラフスキー探偵団公演
●2012年
「ハーフマイルビーチボーイズ」劇団SHOW&GO FESTIVAL公演
「十二夜」チョコレートカンパニー公演
「ジョマクノギ」pitter-patter公演